Just another melancholic director's diary

メンヘラ部長日乗

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わが破瓜発症の日々(3)

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抑うつがいちばんきついときには、僕の場合、「街にも家にも居るのがつらい」に覆われた感覚、世界に対する自分の開示の仕方、のようになります。空間も、時間も、そうです。

先日、「考え過ぎ」が話題になっていました。

これは体験者/通過者にとっては当たり前過ぎるくらいの話です。噛み砕いていえば、あくまでも、僕の場合ということですが、

  • いまここにいると考え過ぎてしまう
  • ならば別の場所に行こう(逃げよう)
  • その、逃げたはずの別の場所でも考え過ぎてしまう

このループに陥ります。

するとどうなるか。旅先すべてが、色を失い、あまり好きでない場所に転じてしまう。思い出の中も、何か灰色がかったものになってしまいます。

*

しかし不思議なもので、かつての旅先の写真は、撮影したそのときには「つらい」がいろんなことを上回っていて写真が下手に見えたのに、いまこうして見てみると、なかなかいい写真、確かにそのときにしか撮ることのできなかった1枚、に思えてきます。

話は少し変わりますが、ポートレート写真もそうです。撮って、手にして見たときの感じは、自己嫌悪そのものです。それが数年経つと「ああ、この(若い)ころは、こんなにいい表情をしていたのだな」に変わる。ほぼ100%変わります。繰り返し念を押せば、あくまでも僕の場合は、ということですが。

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僕はいまの職場に移ってきて、この原理を逆手に取りました。

  • まず、街を好きになろう(受け入れてもらおう)
  • 次に、会社のビルを好きになろう(受け入れてもらおう)
  • その次には、職場のフロアを好きになろう(受け入れてもらおう)
  • 自分のデスクを好きになろう(自分を受け入れよう)

理念(目標)が先にあって、そこに自分の感覚をフィットさせていくわけですから、時間がかかります。早朝から出るようになっても、それでも3ヶ月から4ヶ月かかりました。いまなお、途上です。

*

大学生活にも、似たところがあるように思います。

我慢して、歯を食いしばって、通う。滞在時間を長くする。ひとりでもいられる「お気に入り」の場所を見つけて、その場所を起点に、キャンパスに自分を受け入れてもらう、受け入れてもらえたなという感覚を大事にして、積み上げていく。

そもそも、特に旧帝大の、それも文系の場合には(法文○○館)、お世辞にも受け入れやすいとはいえない古くさい、黴の生えたような、陰気な建物が主流です。どこかしら、息が詰まった気にさせる。90年代から00年代の、東大と京大と東北大と東洋文庫くらいしか、本格的には知らないのですが。

僕の場合、くつろげる場所は、講義の時間と、安田講堂前の木陰と、いくつかのコーヒーショップでした。

建物は変えられないから、せめて、同じ建物でも、先生が見えて話をされると、空気が変わる。履修案内と、駒場時代にも取れた講義から見知ったそんな先生方を、本郷に進む前の2月だったかな、片っ端から、自己紹介のレポートを持って訪ね歩きました。

3年次(本郷1年め)の単位は、それでほとんど勝負は決まったようなものでした。

だって、あらかじめ(渾身の)レポートを出してあるわけだから。先生方の中には、推薦図書や課題図書を渡して下さった、あるいは紹介状を書いて下さった方もいらっしゃいました。

3年次に、本郷の必要単位をあらかた取り終え、4年次は専攻のゼミと、専攻外は、ひたすら趣味の受講に走りました。やっぱり、哲学と、国語学(中世古文)は、楽しかった。

「2年しかない。出来るだけのもとを取ってやれ」という思いもありました。だって、せっかく東大に入ったのだから、いちおうは国内最高峰の授業でしょう。そして実際、そうだったと思います。

*

友だちは少なかったし(もともとの性格に加え、駒場で2単位を残して3回生を迎えるという、いわゆる自主留年をやったこともあり)、だれかの助けを得たり、こちらから協力を申し出たり、ということもしなかった。そんなものだと思います。高橋和巳ではないけれど、本郷の文学部は、バブル退潮期の90年代だって、マイノリティの比較的多くが、憂鬱な党派に属していた印象があります。

うつむいて、歯を食いしばって、それでも何かを掴みとろうとして、必死になって、僕は本を読んでいました。

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