Just another melancholic director's diary

メンヘラ部長日乗

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型はあったほうがいい話

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ビジネスには型があります。そしてその型は、文章の型に比べると、圧倒的に狭く、尖っている。ピンポイントが求められる型です、という話を少しだけします。

例えば上司が「予算の余りが回ってきそう。情報システム部門を動かすのに稟議が必要だから、前に君が話していたこれこれの効果試算を出して」と指示したとします。そのとき、その上司の頭の中には、その効果試算の数字を使うフォーマットと、どの欄に入れるか、どのような「上司コメント」を記すかまで、イメージが出来ています。それは、稟議書という型があって、上司はそれこそ何十枚、ひょっとして百枚以上の稟議の型に、諸々を押し込めてきた経験があるからです。

対して、指示を受けた部下のほうは、型に押し込めてきた経験が少ない。結果、どうなるかといえば「(1)2017年11月時点ではいくらの効果を期待していて(100万円)」「(2)人員やシステムのこれこれの部分がこう変わったので2018年1月時点ではこうで(80万円)」「(3)2018年3月時点ではこうなる可能性があって(115万円)」などと3段階のシナリオを用意(てどきどきしたり)します。

「ありがとう。でも悪いけど、違う。そもそも、この話の発端は11月時点にあった。そのときから、今に至るまで予算は取れていない。システムも、この予算に係る部分では変わっていない。いまから、当初の11月時点の前提と要件に遡って費用対効果を出してほしい。それが私の指示から読み取ってほしかったこと。つまり(1)の100万円だけで必要十分です」

型という意味では、数字がはまるのは所定の枠1箇所だけです。

ビジネスは、そのように、上司が予め想定している型、枠に、1回のやり取りで、ぴたっと合わせにいくことが求められます。なぜなら、みんなそれぞれに忙しく、いい意味で自分の利害で好きに動く生き物だからです。放っておいたら、手を打たなかったら、状況にどんどん置いていかれてしまいます。そしてその軌道修正を行うチャンスは、指示を受けた1回の会話、その場しかない。その正確性の積み重ねが、業績評価であり、給料であり、賞与です。

ビジネスに比べたら、文章は責任を負わなくていいという意味で、楽です。20年30年かけて上手くなっていけばいい。代わりに、実入りは少ないかも知れません。しかしそれだって気楽な営みです。

反面、ビジネスは楽なところ(裏を返せば文章には固有の苦しみ)もあります。このことは、僕だけかも知れないと思って、今回の断章のこの結びに近い部分まで取っておきました。文章/文学は、ほぼ白紙のキャンパスに手持ちの型から手探りで表現を見つけ出して、荒れ狂う自我を当てはめる営みです。無限の型の広がりがある(ように見える。特に慣れないうちは)。ビジネスは、そうではない。せいぜい稟議書(およびその前段たる商談)の型は20とか50とかです。

話は少し外れますが、短歌や俳句にも似た「型に寄りかかれる安心」があります。外れることができないことの息苦しさを、ときに若い人は口にするかも知れません。しかし、無制約の自我、あるいは何でもやらなければならない独立自営業主の地獄をいちどでも味わってみれば、制約はむしろ救いになることがお分かりいただけるかと思います。

ちなみに、漱石は晩年とりわけ江戸趣味、の漢詩、水墨画といったところを好んだといいます。あるいは、似たような境地があったのではないかと僕は想像します。

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