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採用面接官 阿久正の話

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第三の新人のひとりに(とされる)長谷川四郎という作家がいます。

1909年6月生まれ。生まれ日は太宰治と10日余りの違い。しかし太宰ほどには読まれていない、実に味わいのいい、達者な文章を書いた方です。若い人は(僕らの世代だって)普通、読まない。僕が読んだのは生家の書棚にあった筑摩の文学全集か何かに入っていたものです。

それきり、忘れていました。

思い出したのは、村上春樹「若い読者のための短編小説案内」の中で、この長谷川四郎と彼の代表作(といって過言ではないと思う)「阿久正の話」が語られていたためです。

まず、長谷川四郎について。ウィキペディアと周辺資料によってざっと紹介すると、彼は1909年函館に、長兄が作家、次兄が洋画家、その下の兄がロシア文学者という家に四男として生まれ(おそらく、だから四郎)、法政の独文を出て、南満(南満州鉄道株式会社)に入り、召集を受け、シベリアで捕虜となり、復員後1950年過ぎから小説を発表し始めます。確か、1955年の「阿久正の話」で芥川賞候補。時を同じくして母校法政の先生をしていたはずです。

その味わいのよさは、古書店などでぜひ古い全集や文庫を入手して、感じてみてください。

とてもいい、枯れた、悲しい(といいつつ、悲しすぎない)、これは村上春樹も評していますが、大陸ふうの、匂いがする。1作だけ引き合いに出せば、中島敦「李陵」、これを僕はモスクワ駐在時に愛読していました。中島といえば一般には「山月記」、しかし彼の味は「李陵」にこそあると思う。あの、匈奴、大陸の乾き、冷たい風、それでいて広々とした大らかさ、そういったものが「李陵」にはほんとうによく出ている。そのことを、僕は日本では正直、わからなかった。それがモスクワの地下鉄で(モスクワの地下鉄というのは、社会人の多くが男女を問わず紙や電子で小説をめくっているところです。とても安心する)「李陵」を自然に手にするようになって、すうっと、胸に入ってきた。

話を戻します。阿久正(あく・ただし。残念ながら、阿久悠の親戚ではなさそうです)当時30歳前(1928?-)の特徴を、作品から拾い上げると次のようにいえると思います。

  • 仕事は出来るが、得体の知れないところがある
  • 上司や同僚の受けも、必ずしもよくはない
  • 物語を作り、近所の子どもたちに聞かせるのを楽しみにしている
  • 数字にも強く、住まいのあばら家を、自分で建てることができた
  • 肩身は狭そうにしているが、何か知らないが「強い自分」のようなものを持っている
  • 結果、戦後の日本社会というものに、うまく適応できない

優れた私小説の条件に「これはわいや。わいのことや」と読者に思わせるということがあります。僕はたまに仕事の合間に大手町をやるせない思いで徘徊していて、ひょっとして自分は阿久正の空蝉(現身:うつせみ)なのではないかと、ついうっかり思ってしまうことがあります。

話は変わりますが、僕は19新卒の三次面接官を会社から仰せつかっています。時期的にそろそろ、面接時のQ&Aの案、スクリプト(台本)というものを出さなければならない。いやでいやで仕方がなくて、渋々、1行、

「Q:毎日、規則正しく暮らし(せ)ていますか」

とだけ記して人事に提出しました。人事は解釈に頭を悩ませているそうです。

そんなわけで、若い大学生ブロガーのみなさんが、商社を受け、その新卒採用の三次面接で、淡々と上の質問をする営業部長に出会ったとしたら、ひょっとしてそれは僕かも知れません。

そしてそのことが、なかなかうまく生きていくことのできない、学生のみなさんにとって、希望とはいえないまでも、頑固な灯火(なんだそりゃ)のようになれたらいいなと、ぼんやりと今はそんなことを願っています。

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