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メンヘラ部長日乗

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わが破瓜発症の日々(1)

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若干ぼやかして書きますが、僕の破瓜発症の経緯は概ね以下の通りです。

中学まではいまでいう十分なリア充だったはずです。地方都市の国立駅弁大学付属小中と進みました。高校にあがるときに受験があるわけですが、中学では1学年男子120人いる中で30番くらいを維持していれば心配なく入れた。だいたいちゃらちゃらと25番くらいをふらふらしていたと思います。部活はやっていませんでした。代わりにスイミングスクールと書道とピアノを。前髪は顎まであった。チェッカーズが流行っていました。テクノカットもしました。

高校が問題でした(僕にとっては)。男子校です。初日にああもう終わったと思いました。どう考えても異常な隔離政策ですよ。それから精神主義が横行していた。「文武両道」「質実剛健」とかいう(そんなことよりエアコン入れたらどうだ)。

加えて、高校に合格すると入学案内とひと揃えで「春休みまでの重要性」「GWまでの重要性」などといった要は英数古文の宿題教材が渡される。それと「進路研究:特色ある地方国公立大学の勧め」などという冊子も付いてきた。

ははあん、と思いました。

こいつら(進路指導教師)、ほんとは東大に入れたいんだけど自分も入れなかったし突っ込む技量もない、県下トップ校とはいえ全国区では大したことないから適当にお茶濁してやがる。意地でもお勧めの大学になんて入るものか。

それが全体の直感的な見取り図です。僕は上位2~3割(文理総合70番、文系35番)は維持できると高をくくっていましたから、まあ、東北大か、女性比率の高い東京外大かくらいに思っていた。男子校的なものから逃げることが至上命題です……受験の話は、今日はこれくらいにします。すばらしい恩師との出会いもありましたが、後日にでも。

僕にとっての発症の原因を本に求めるとすればデカルト「方法序説」と夏目漱石「こころ」です。

もうね、どちらも不思議な本、叙述で、そして美しく見えたんです。いまでも美しいと思っています。

前者デカルトに関しては、僕はいまでも中世古文の品詞分解が大好きなのですが、たとえばそういったところにも通じる(はずの)、万物をその根本原理を踏まえつつ分解可能な単位にまで落とし込んで極力正確に定置しようとする、その透徹した基本姿勢に、感光してしまったのです。

後者こころは、なぜだろう、当時メンヘラ気質の1歳上の女性に片思いをしていたからかな、「気持ちの通じなさ」、そして倫理学でいうところの想像上の立場交換の困難に、あるいはそれをぎゅっと踏みしめてじりじりと粘り強くそれでも前に進もうとする漱石あるいは「K」「先生」の切実さ、誠実を、これは(早熟の)本読みとして、よし、自分(僕)は解明してやるんだ、くらいの青白い情熱をいつしか持つようになっていました。

勉強もよくしました(本格的には高校2年の11月くらいからだけど)。記憶力、これだけはよかったからね。よく泳ぎもした。ドムドムバーガーでバイトも。それと平行して、何か世界認識、つまり我(われ)と世界との間には皮膚1枚を隔てて越えがたい深淵/断絶/飛躍があることに気づき、自分はどうやらその魅力に首根っこを掴まれるタイプの人種なのだなと、運命のようなものを予感するようにもなっていました。

早生まれ15歳か16歳の秋くらいのことだったと思います。ちょうど、時代が昭和から平成に改まるか、という頃のことです。

この話の続きは、また改めて書きます。

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